探足会20周年を記念した文集の中に発表した文章です。稚拙で少し気恥ずかしい文章ですし、関係者以外意味のつかめない部分も多くありますが、山へのたぎる思いを胸に、恐れを知らなかったあの時代、山を通じた友との出会いがありました。探足会がどんな経過で出来上がってきたのか、少しでもつかんでいただければ幸いです。
期待と不安と、自然への畏怖の念を抱きながら、槍をめざしたあの日。
その割には名古屋駅で酔いつぶれたっけ。
二日酔いで登る合戦尾根の登りはそれはきつかった。
そういえば、燕のあたりからヘンなパーティーと一緒になった。
肩に蚊とり線香をつけたやつ、
ダンプの車体に軽トラのエンジンを乗っけたやつ、
俺はブレーンだという細いやつ、
まるでタマゴに目鼻をつけてリュックを背負ったやつ、
その他にぎやかなのがいっぱいいた。
槍の肩の小屋の、談話室に掛かっていた鳥の写真を見て即興で歌った歌が、
いつのまにか全国ヒットした事もあった。
確かリーダーだったはずなのに、北穂の小屋に置いて行かれたこともあった。
もう20年もたったのか。いや、そんなはずはない。
確かにあれからも色々あった。ひとなみに喜怒哀楽もいっぱい経験した。
槍にも何回登ったかしれないし、大きな事故こそ起こさなかったが、
ジャンダルムでは滑落しそこなって、しばらく足のふるえがとまらなかった思いもした。
下界でも大きく変わった。生活の本拠が津から名古屋へと移ったし、
去っていった友人は何人もいたけど、新しい友人もたくさんできた。
友達の友達の、そのまた友達も、みんな友達という言葉をまさに実感した
あの時2人だった家族も4人になり、まだ生まれていなかった子供は、
あの時の自分の年齢に近づいている。
でも、自分としては過去形では語りたくない。
事実、あの「ヘンなパーティ」とは現在進行形のつきあいが続いているではないか。
すでにオツムには、白いものがまじり、貯金は貯まらないが、相応に皮下脂肪は貯まってきた。
でも、過去形でしゃべることはやめようと思う。
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年を重ねただけでは、人は老いない。理想を失うときに始めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失うときに精神はしぼむ。
年は70であろうと16であろうと、その胸中に抱きうるものは何か。
事に処する剛毅な挑戦。勝利を求めてやまぬ探求心。人生への歓喜と興味。
人は信念とともに若く、失望とともに老い朽ちる。
サミエル・ウルマン
これからも現在進行形でいたい。
1994.9.8
探足会三重 名古屋出張所浜松分室 maruyama