[プロローグ]
大阪に知る人ぞ知る名山がある。
昨今は単なる物書きが、単なる個人的な主観で選んだ100名山ばかりがもてはやされる傾向にあるが、この名山はそれらとは比べることの出来ない孤高の山である。
強いて比較するならば富士山とかも知れない。いやむしろヒマラヤのチョモランマと比較すべきかも知れない。
その名山の名は、天保山と言う。多くの登山家の心を捉えてやまないその孤高の名山は、過去に幾度かのパーティーを退けてきた。
我が探足会のパーティーも、昨2003年登頂を図ったが悪天候のため断念した経過がある。
今年こそはと我々は周到な登山計画の下に、再度挑戦することとなった。これは、落ちこぼれと言われた探足会の男たちが(女も居たかも知れない)、周囲の無謀と言う声を振り切って、大阪・天保山制覇を成し遂げるまでの、感動に満ちた逆転のドラマである。
(どこかで中島みゆきの地上の星が流れている・・・・・ような気がする)
[登山計画]
- 日 程 2004年5月14日(金)〜16日(日)
- メンバー 10名
- 行 程
- 14日(金)大阪南港出航−(フェリー泊)
- 15日(土)−別府港着−神原−祖母山(1756m)−神原−別府港出航−(フェリー泊)
- 16日(日)−大阪南港着−天保山(4530mm)−(帰路)
早速遠征隊の編成である。メンバーには幾多の山域とネオン街を制覇してきた探足会とグルッペの強者、総勢10名、東京・千葉・名古屋・三重・大阪と全国から選抜した。
リーダー兼ガイドには、大阪在住の名アルピニストでありツーリストでもあるN氏に依頼するととした。探足会の歴史に残る天保山登山を、確実に、かつドラマチックに成し遂げるにはルート設定が重要である。 慎重を期して、高度順応のために中級山域を経由することとした。
そのために選んだのが九州大分・祖母山(そぼさん1756m)を経由する壮大なルートである。[出航]
5月14日(金)16時大阪難波に集結。19.6kgものザックを背負った者もいる。
早速デパ地下で食料調達。
大阪南港フェリーターミナルから関西汽船サンフラワー乗船。18時50分出航
こうして九州大分・祖母山を経由し大阪・天保山を目指す我々の、3日間にわたる長ーーい山行はスタートした。[ミーティング]
船内では早速、車座になって今回の山行についてのミーティングが開かれた。
今回の壮大な遠征登山に対する真剣な議論が展開され、メンバーの決意は確実なものとなっていった。持ち込んだ2.7リットルペットボトル入りウィスキーは、見る見る減少していく。
誤解ないように言っておくが、登山においてウィスキーは単なる飲用ではない。
我々の持ち込んだウィスキーは、怪我した場合の消毒薬、体力消耗した場合の気付け薬などとして重要な役割を持つ登山装備のひとつである。
それを早くもこんなに消費して、3日間もの長期遠征山行の資材計画に狂いは生じないのか。もう少しビールを買って来るべきだったか、と心配しながらも心地よい酔いに、話は盛り上がり夜はふけていく。[大分・祖母山登山]
5月15日(土)朝6時20分大分・別府港着。早速バスで祖母山へ。
今回は神原(こうばる)からの往復である。
山の規模としては関西の大台ケ原と良く似ている。
事前のネットでの調査ではどろどろの登りにくいルートだそうだ。
曙ツツジが有名であるが残念ながら花の季節は終わっている。これと言った花は見当たらない。
せっかく新しいデジカメを持参したがまったく花の写真は取れない。ルートは樹林帯の中の延々と続く登りで、展望もほとんど無くあまり面白い山ではない。
途中に水場「命の水」があるが、これも水滴がぽたぽた落ちる程度の水場で、唇を湿らすだけある。3時間半ほどで頂上。頂上は県境で普段は九重山方面など、かなりの展望があるそうだが、今回はガスで真っ白、まったく展望が無い。しかもポツポツと雨があたってきた。
持ってきた弁当をかぶりつき、コーヒーを沸かし、ウィスキーのお湯割を作って直ちに退散。一目散に下る。どうにか雨が本降りになる前に下山することができた。
16時、バスは再び別府港へ向けて出発。雨はついに本降りとなってきた。
どこにも寄らずに再び関西汽船サンフラワー乗船。[次なる峰へ]
19時、船は大阪へ向けて出航。
早速再びミーティングの開始である。今回の大分・祖母山での高度順応は十分であったか、メンバーの体調は万全か、天候はどうかなどと議論は続いた。ウィスキーの残量はまだ十分である。しかし天候の悪化から、最終目的地である天保山登山は断念すべきである、との意見も出された。確かに天候の悪化は懸念されるし、ここまで順調にきた今回の遠征登山も、もし天保山で遭難することにでもなればすべては水泡に帰す。果たして登頂決行か断念か、議論は深夜まで続いた。
[天保山への道程]
5月16日(日)6時15分大阪南港着。結局、天保山登山は決行されることとなった。
しかし、2名のメンバーはここで脱落した。我々はこの2名の遺志を継いで、天保山に挑むことを決意した。雨はしっかり降っている。幸い風はない。我々は地下鉄を乗り継ぎ、登山口である大阪港駅へ向かう。
有名な山だけあって道標はしっかりしているし登山道も整備されている。我々は名アルピニストガイドN氏を先頭に、道標に従って天保山山頂を目指す。
天候が悪化しているせいか、他に登山者はいない。途中、黄色い光を発見、その黄色い光はすぐに赤い光になった。虹か、セントエルモの火か、ブロッケンだろうか。
我々は立ち止まった。しばらく見ていると青い光になった。我々はそれを確認して登山道を横断する。[ついに念願の天保山へ]
登山口からおよそ10分、頂上付近の階段状のところをトラバースし、ついに我々は念願の天保山頂上に到達した。感慨は無量である。天保山の三角点は2等三角点だった。これほどの名山なのになぜなのだ。
そういえば、かの北アルプス剣岳も2等三角点である。
剣岳は本来1等三角点であるはずだったが、あまりにも急峻なため1等三角点標識が担ぎ上げられず、やむなく2等三角点になったという。(詳しくは新田次郎「点の記」参照)
天保山の2等三角点にもそうした隠されたドラマがあったのだろうか。どちらにしても天保山の魅力はそれによって変わるものではない。
天保山は日本一の、いや世界一の山なのだ。
ここを越える山は、これからもおそらく出てこないだろう。[エピローグ]
感慨にふけるまもなく我々は、天保山登山隊の勇姿をカメラに収めた後、ただちに下山を開始した。
次の目的地は喫茶山小屋である。ここで天保山山岳会による天保山登山証明書が発行されるという。山小屋は登山口である地下鉄大阪港駅を通り過ぎたところにあった。
しかし閉鎖されている。山小屋なのにおかしい。小屋番は何している、まだ山開きしていないのか、冬季休業中なのか。いやそうではなかった。11時の開店だった。現在まだ朝8時半、そんなに待てないのでやむを得ず登山証明書は、大阪在住の名アルピニストでありツーリストのN氏に依頼して後日と言うこととした。
<後日届いた天保山山岳会の登山証明書>こうして3日間にわたって九州大分・祖母山を経由し、大阪・天保山を目指した我々の壮大なプロジェクトは、幾多の苦難を乗り越えて、無事幕を閉じたのである。