ネパールヒマラヤトレッキングの記録 |
1995年11月のヒマラヤトレッキングの全記録です。
わずか8日間のネパールヒマラヤでしたが、ネパールの人々の素朴で暖かい人情と、すばらしい自然を堪能してきました。
これから計画されている方にも参考になることと思います。
テープレコーダーで、逐一時分まで記録したものを書き起こしました。膨大にある写真から15点ほど掲載しました。
サイズを小さくするために256色に減色して縮小してあります。
この楽しかったヒマラヤトレッキングにも苦い思い出があります。
それは私達がネパールを離れた翌日、季節外れのモンスーンで多くの犠牲者が出た事です。
現地の人も予想できなかった天候で、私達がのどかに歩いた地域が大雪となり、雪崩で日本人も多く犠牲になりました。
私達の泊まったホテルエベレストビューも救護の最前線となり、私達が降りたったシャンボジェ空港も、救援機の発着でいっぱいだったそうです。
あとから新聞の報道で知ったのですが、私達と一緒に関西空港を出発した飛行機に同乗したパーティもかなり巻き込まれたようです。
|
1995.11.1〜8<11/1>11:00 関西空港でメンバー合流 13:20 関西空港出発
13:30 機内食 オードブル チキン ヤキトリライス または 子羊のノアゼット15:08 ベルト着用のサイン 15:21 下には上海の街が見えてきた 15:29 上海着陸 上海空港のトイレは狭いのでみんな並んでいる16:20 再び搭乗 16:41 カトマンズへ向け離陸
18:00 夕食 オードブル ローストチキン マッシュルーム添え20:18 ベルト着用のサイン
22:12 カトマンズ着陸 ドドドー ガタガタガタという音とともに着陸22:15 ボーイング757 を降りて空港へ
(3時間15分マイナス)
いたが、関係の無い人からさっそくチップを要求された19:00 ホテル シェルパ着
アルコール入りのジュースが出たが、これで酔った者もいた20:30 ミーテイングのあと各部屋へ 21:30 明日の準備終了
テレビは英語ばかり<11/2> 05:00 起床 05:40 マイクロバスで空港へ出発
06:00 カトマンズ空港着 国内線ロビーはかなり狭い06:06 明るくなってきた
06:20 荷物の重量検査と手荷物の検査 うっかりナイフを持っていたが「ノー」で無事通過06:53 空港は一面の濃いガスにおおわれていて、 まだ出発できない07:10 まだ出発できず ここはネパール のんびりゆこう
待合い室の中は、ややシーズンはずれの上高地横尾の様だ07:55 みね子さんから即席ヨガ教室でたっぷり汗をかいた
かなり待っている人が増えてきたがまだ出発できず08:20 待っている人は200人ぐらいになった 08:40 やっと動きだした
マイクロバスでヘリまで送ってくれるのかと思ったら違っていた08:45 ヘリコプターへ搭乗
耳栓用の綿とキャンデーを貰う08:56 離陸
アンナプルナが見える09:33 エベレストが見える
雪が太陽にキラキラ輝いていてものすごくきれい09:40 ガタガタガタという音とともにシャンボジェ空港着陸
原っぱみたい ちょっと寒いけど天気はすごく良い10:25 ホテル エベレストビューへ出発
すごく雄大 でも4000mを歩いているとは思えない12:00 ホテル エベレストビュー着
まずはビールで乾杯 みんな腹へったとわめいている12:30 全員が到着
12:50 やっと昼食 出されたパンが見るみる無くなる おかわりーー14:00 サンルームでエベレスト展望
ぽかぽかしていてすごく暖かい 眠くなりそう16:00 NHKラジオ日本アジア大陸向け放送(7225KHZ)が良く入る でも番組表をカトマンドゥのホテルシェルパへ忘れてきた<11/3> 05:50 起床 早くからシャッター音が聞こえる
エベレストが右方向から光が当たってキラキラ輝いている08:10 クムジュンへ出発 天気は相変わらずすばらしい 空は真っ青08:30 先発組と後発組に分かれる
08:35 クムジュン到着 のどかな村だ こんな高地にも人々の営みがあるのだ09:20 クンデ村着 鼻たれ小僧がいた
きれいな窓 清潔感ある家が多い10:50 4300mの稜線に到着 ヒマラヤ登山の気分満喫 11:20 稜線出発 11:27 下の方に後続組が見える 手を振るが見えたかなーーー 12:10 後続組と合流 12:30 クムジュンのアマダムラムロッジで昼食 14:07 食事終了
3カ月いるという札幌の女性がいた14:30 雪男の頭の皮を見に行く
猿の頭のようだ でもいったい何なんだろう15:30 ホテル帰着 16:25 お湯を貰って頭からかぶったがとても寒い 19:00 食事 <11/4> 07:50 ナムチェバサールへ出発 今日も先発後発に分かれた
08:19 ナムチェバザールが見えてきた すごい賑わいである すごい繁華街でざわめき声がかなり離れた所まで聞こえてくる09:15 メインストリートの雑踏 押し合いへし合い すごい賑わいだ 地面に物を広げて売っている 誰が売る人か買う人が分からない09:30 後続組が坂を下りてくるのを発見 迎えに行くこととした 09:45 合流 10:00 バザールで買い物 かなり値切り倒したが敵もさるもの 12:00 昼食
13:00 ナムチェ出発 ここでもバラバラになった 帰りは違うルートを登った14:17 先に付いたのでシャンボジェ空港そばのロッジで休憩 チャパティ食べて1時間ほど過ごす17:25 ホテル到着
19:00 今日の夕食は日本食 みんな感激 食事の後みんなで歌 ホテルの従業員も加わってとても楽しかった20:45 終了 部屋へ引き上げ <11/5> 07:10 ホテル出発
07:45 飛行場到着 現地の子供のヘアースタイルが気に入ってしばし交歓08:44 迎えのヘリが到着 すごい風とほこり 帰りは病気になったアメリカ人4名も同乗することとなった09:05 離陸 音はうるさいが、下界をながめていると天気は良いし、のどかである09:47 カトマンズ到着 ヘリのパイロットが呼び止めるので何かと思ったら ロシアのコインと日本のコインの交換を求められる10:30 ホテル シェルパ着
11:35 チトワンへ向けホテル出発 途中レストランヒルトップで食事19:15 タイガートップホテル到着 船やジープを乗り継ぎみんなクタクタ 6時間の予定が予想以上に時間がかかって本当に着くのかなと思った<11/6> 05:30 起床
06:25 象に乗ってジャングル探検 象はまるで戦車だ サイと鹿がいた タイガーはどこだ ホェヤーイズタイガーーーーー08:30 朝食
09:50 バードウオツチング 案内してくれたガイドはハンサムで感じの良い青年11:30 バードウオツチング終了 12:30 昼食
14:00 ラジオ日本でイスラエルラビン首相暗殺のニュース 1週間も日本を離れるとやっぱりいろいろな事がある15:08 カヌーでワニを見に行く 流木の様な物がワニらしいがよくわからない17:00 終了 夕日の写真が撮りたくて帰り道をあせるも運転手は親切にもわざわざ車を止めていろいろと見せてくれる19:15 チトワン国立公園の説明スライド上映 英語の説明はさっぱり分からなかったが画面を見ているとなんとなわかる気になってきた20:00 夕食 みんなで最後の夜ビールで乾杯 ガイドを交えて楽しいひととき<11/7> 05:00 起床 こんなに早く起きて、今日、日本まで帰るなんてネパールの人はどう見ているのだろう06:00 ホテル出発 ジープで15分 船に乗換え06:22 河を渡って、ランドローバーに乗換え 朝日に向かって、ランドローバーで河を渡る光景は、まるで映画の1シーン、思わずシャッターを切る06:50 飛行場着 この飛行場は芝生だ ここでマイクロバスに乗換える07:50 検問所でストップかと思ったら、ガス欠でバスが動かず 運転手が路線バスでガソリンの調達に行った さすがここはネパール08:25 ガソリンが入ってやっと出発 10:40 レストラン ヒルトップ到着 弁当で昼食
ここのトイレは水洗、子供が水を流してくれる11:05 ヒルトップ スタート 13:30 ホテル シェルパ到着
14:10 市内観光 旧王宮へ カトマンズの雑踏の中 横断歩道もなく車の多い道を勝手に渡っている19:00 近くの中華レストランでみんなで夕食 辛い すべてにのんびりしていてまだ荷物整理のすんでいない人はイライラ21:00 ホテルから空港へ 紅茶40ルピー、チョコレート 1500円とは何という値段だ<11/8> 00:40 1時間ぐらい遅れてカトマンズ空港出発 途中幹事さんが過労でダウン でも上海までに元気に よかった (3時間15分プラス)
11:50 関西空港到着 無事帰国できた、幹事さんに感謝感謝
解散 |
|
|
|
|
幻想的なヒマラヤの峰々 |
|
|
|
日本の夏山のように見えていても標高4300m付近 |
|
|
|
シェルパの里を行く、その2 |
|
シェルパの子供たちと。標高3800mが彼らの生活圏、はだしの子供もいた |
|
|
|
ナムチェバザールはもうすぐだ |
|
若いが優秀なガイド、アイタ・シン・ラマ |
|
|
|
|
|
唯一の観光、数時間をカトマンズの旧王宮で過ごす |